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KAZ建築研究室 一級建築士事務所
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 空間の広がり
限られた予算・限られた敷地条件など。その他にも家づくりにはいろいろな制約があると思います。そんな中で、いかに広い空間をつくるか。そんなお話を少々。

下の写真は実質約6帖ほどのベッドルームです。しかし、その向こう側の階段スペースや吹抜け部分まで一つの空間として繋げています。

そのため視覚的空間は2倍くらいの広さになります。更に右側の大きな窓の向こうにはソトの風景が広がっていますからもっともっと広く感じるわけです。

空間に抜けをつくったり、奥行を持たせることで数倍の広さにできるんですね。

それと同時に、空間と空間の繋げ方によって家族の気配を感じることもできます。

それらは開放感にも繋がりますから、住む人にとって気持ちいい家になるのです!

また、照明器具も工夫して取り付けると更に快適空間になります。

右は間接照明を点灯した時の写真です。雰囲気もかなり変わりますよね。

「家」って、こういうちょっとした工夫が重なるだけでもすごく楽しい空間になるんです ♪

     


 「私の家」づくり

我が家は当初、私たち夫婦、息子2人(9才+5才)、両親の6人家族の家として設計しました。

29坪の変形敷地にこの6人がどう住まうかということが最大のテーマ。

狭い変形敷地のため平屋という選択肢はなく、どうしても階段が必要になりますが

2階の居住空間に上がればそこは完全なバリアフリーです。


完成から5年後に父が他界し、10年後には長男が大学入学と同時に家を出て

今現在は妻と二男と私の3人家族(昨年の春までは私の母も含めて4人家族)で当初の半分の人数です。


私たち夫婦は共働き。そのため家事全般は主に妻と母がやっていました。

そんな我が家で昨年は母の介護を経験しました。今までの恩返しの想いもこめての最初で最後の介護経験。

足腰が弱くなった母をおんぶして階段を降り病院へ通い毎日おむつ交換もしました。


家事も夫婦でシェアするようになり、私も料理(レパートリーは少ないが)や洗濯・掃除・ゴミ出しなどをやるように。

お陰で晴れた日に洗濯物を干す気持ち良さを知り、最近では料理も面白くなってきたのです。

家を建てようとする場合、その時の要望の他に遠い将来のことまで考える人は少なくないでしょう。

しかし、それが今を楽しむ家だとしたら、先のことにとらわれ過ぎたらもったいない。

その将来が今思い描いた通りになるとは限らないし、それもその時の予算の中で行うことになるのです。

我が家では当初から将来の介護のことまで考えていたわけではなく、それ以上にその時の6人の繋がりや空間の気持ち良さを優先して考えました。

常に両親の気配を感じられる家にしたいと思い、2階リビングからは中庭越しに父母の部屋が見えるようにし、向こうからもリビングが見える。

親孝行の意味を籠めて両親の部屋にはシンボルツリーを眺められる専用デッキを備えました。

家族が多少の距離感を保ちつつも互いを感じられる家。

中庭からは双方に心地よい光や風が流れ込む。

6人家族それぞれにとって気持ちのいい家が出来上がったのです。

この家で、20年の時の中でいろいろなことを経験しました。

子供の成長・人数の変化・両親との同居・母の介護など・・・

これまでの日常が、家づくりという私の仕事に新たな大切な答えを見出してくれた気がします。

20年という数字をきっかけに自分の家づくりを振り返って、そんなことを想う今日この頃。




木造住宅の特徴を楽しむ
屋根を支える梁をそのまま見せるデザイン。

これには、家を形成する構造材が眺められること・それが見えることで安心感が得られること・天井材を張らないことでのコストの削減 などのメリットがあります。

実はその他にも家を楽しむメリットがあります。そこで過ごす時間の経過と共に家自体の変化を楽しめるのです。


それは、内装や外装の木部が経年変化で徐々にいい色艶に変化していくこと。

自然素材である「木」は、時間の経過と共に色艶が変化し落ち着いた味が出てきます。

例えば、床に観葉植物の植えられた鉢を置いたとします。数週間後にその鉢を退かしてみるとそこだけ床板の色が違います。

それを退かしたままにしておくと、また周囲の色と同じになります。直射日光が当たらない場所でも自然と変化していくのです。



上の写真は、群馬県太田市のmat houseです。

竣工から4年が経過しています。(赤ちゃんだったお子さんも既に4歳です)

屋根を支える梁や壁や床の合板など。もっと白かった木部ですが、いい色艶に変化してきました。

お子さんが日々成長するように、家自体も自然と日々変化しているのです。

そんなふうに少し目線を変えて見ると、「木」の持つ特性を楽しむこともできるんです。


 地域のコミュニティ
「家庭内のコミュニティ」でお話したことと関連しますが、今回は地域のコミュニティと住まいの関係性についてです。

密集した住宅地や隣家が近接した住宅地などに家をつくる時、多くの方はプライバシーを気にします。

これは周囲の隣家の視線や防犯面などが気になり、ゆったりと生活できないのではないかという不安からです。

元々の地元住民でない限り隣近所とは皆初対面ですから、どんな人が住んでいるのかもわからない状態ですし当然のことです。

ましてや最近のいろいろな事件などを考えると怖くて仕方ありません。個人個人がソトとの関わりを遮断して自分を守る住まいに住むというのがほとんどです。

このようなことを考えると、現在の地域コミュニティは崩壊していると言っても過言ではないでしょう。

ところが、郊外型住宅になると様子が変わってきます。

元々その地に長く住んでいる方々が多い地域だと、面倒見の良い人が多かったりすることもあります。

また、家をつくる前に隣近所の人たちと会話をすることで多少の様子もわかります。

これまでに設計した郊外型住宅では、地域との関わりを積極的に持ちたいという思いを大切にして家づくりを始めたクライアントもいらっしゃいます。

南道路に向けて大きな開口部を設けることで、道行く人たちと挨拶を交わしたり、積極的にソトとの繋がりを大切にしています。

このような昔ながらの隣近所とのお付き合いは、大震災の発生後から改めて大きな問題になりました。

「遠くの親戚より近くの他人」と言いますが、災害時などには特に大きく影響することです。

お互いに行き来をする関係があることで隣家の様子がわかったりすると、いざという時に助け合うことも出来ます。

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しかし、現状を踏まえるとソトに対して開いた住宅というのはなかなか難しいのかも知れません。

そこには住み手の考え方や地域性も大きく関係してきますから、設計者が独断で強制する訳にもいきません。

家づくり以前に、地域の中でコミュニケーションをはかることの方が先なのでしょうか。

時代の流れが人を変えたのか?人が時代を変えたのか?

「なんとも寂しい世の中になったもんだ」と日々思うKAZでした。。。

どっちが良いとか悪いとかの問題ではありませんのであしからず。


 まずは実物を体感してみる
最近は防犯やプライバシーの関係上でオープンハウス(見学会)が少なくなっています。

出来上がったばかりの自分の家を他人に見せる訳ですからそれは当然慎重になりますよね。

でも、これから家づくりをする人にとっては写真よりもホンモノが見たいもの。

こちらとしてもやはりホンモノを見ていただきたいというのが本音です。

KAZ建築研究室では、オープンハウスが開催されていない時期でも実物をご覧いただけるように

住み手の方にご理解とご協力をいただき、個別に見学を行なうことが多々あります。

空間の広がり具合や素材の質感は写真だけでは絶対にわかりませんからね。

まずは初対面でお話してお互いの感覚を確かめたあとには、ホンモノを見ることをお勧めします。

自分の目と身体で実物を体感することで更に理解も深まるはずです。

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<Beetle House> OPEN HOUSE風景

 最初が肝心
設計者選びは最初が肝心!

まずは雑誌やホームページなどで見て、誰が自分に合っているのかと考えて絞り込むのでしょうか。

その後、初めてのご対面となる訳ですが、そこからが肝心なんです。

相手と自分がどれくらい波長が合うのか。(これはお互いが思うことですが)

その人に自分の本音をどのくらい言えるのか。

お互いの人柄も関係してくると思いますが、自分とその設計者の考え方がどれくらい近いのか。

その相手のどこが好きなのか?

デザイン性なのか、家に対する考え方なのか・・・などなど。

それをハッキリと相手に伝えてください。

単純に見た目だけとか、何となく合いそうというだけではなく、もっと深く突っ込んだ話もしてみてください。

最初は、ほぼ片思い状態ですから、相手に自分の思いを伝えることから始まります。

お互い人間ですから、建物は気に入ったが人柄が合わなそうということもあるかも知れません。

逆にこちら側とすると、初対面ですから相手の考え方は伝えて頂かないと見えてきません。

よく話を聞いてみたら相手の考え方に賛同できないという場合もあります。

勿論こちらもそのようなお話はしますが、

まずは、自分の考え方やその設計者に何を求めるのか、それをしっかりと相手に伝えて頂きたいのです。

実は、このような話し合いに時間をかけることが一番大切です。

そのようなトークのやり取りこそがこれから家づくりをスタートする上でとても重要な部分なのです。


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 家庭内のコミュニティ
他人のことは気にしない・・・そんな昨今。

ご近所付き合いもどんどん減って、いつの間にか日本の地域コミュニティは崩壊しています。

大震災発生時にも、結果的にこれは大きな課題となりました。

同じことが住まいの中でも言えるのです。

現在では、家族が部屋を個別に私有することで、いつの間にか家庭内のコミュニティも危機状態。

便利さや快適さを追求し過ぎた結果でしょうか。

昔のようにどこに誰がいても一声かければ返事が返ってくる・・・そんな環境が必要だと思います。

家の中でも家族の気配を感じながら暮らす・・・今でこそ重要に思えますが、本当はごく当たり前なことなんでしょうね。

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 3つの道具
何も思うことなく共に過ごして早20数年。

シャープペンシル・勾配定規・平行定規の三つの道具たち。(下の写真)

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皆、年月と共に身体の一部のように馴染んでいる。

しかし、そんな思いとは裏腹にどんどんCAD化が進み、手描き図面の時代はどこかに行ってしまうのか・・・

そんな危機感を感じたり、寂しさを感じたりもする今日この頃でもある。

確かに不便なことも多い。

だが若い頃先輩達にしごかれながら教わった
鉛筆の感覚を忘れてはいけないと、未だに手描きにこだわっている頑固オヤジ!

家をつくるのが職人ならば、私はそれを考える職人でありたい。

ペン先に住み手の想いを籠めながら・・・!


 子供部屋を考える
 「肝心なのは住まい方」でお話しましたが、便利さや快適さを追求するあまり人と人の関わりが減っているように思える昨今。

声を聞かずに相手と話すメールやチャットもそうですが、

どうも便利すぎるあまりに人付き合いがヘタな人間が増えているように思えるのは私だけでしょうか。

一度便利さを味わってしまうと、なかなか元に戻れないのは動物も人間も同じ。

これが日常的に繰り返されるとどうでしょう。家とは、そんな些細なことの繰り返しの場でもあるわけです。

子供が帰ってきた気配を感じられたり、子供部屋の気配が感じられることは、親だから感じたいと思ったりするわけです。

部屋に入ったら何をしているのかわからない、何でもその部屋で用が足りてしまう、気配すらも感じられないのでは、

子供と一つ屋根の下で共に生活する意味がありません。

ましてや最近の子供の凶悪事件等を目の当たりにすると、親子って何だろう?と考えさせられてしまいます。

ある程度の時期になれば当然親子の距離は必要なこともありますが、その時期がいつなのか。その辺がすごく重要に思えます。

 我が家の場合は、ついこの春まで我々夫婦と息子たち(中1と高2)は一つの場所で一緒に寝ていました。

別のところに子供たちのスペースがあるのに。

それが、中2と高3を目前にした春休みに二人は引越し計画を立て始めたのです。

今までにも何度か引越し計画はありましたが長続きしませんでした。

しかし今回は二人とも本気だったのです。今では、狭くてもそこが自分の城のように居心地よさそうにしています。

但し、通常の宿題などは未だに食卓でやっていますが。


まあ、これは我が家の場合ですが、このようにその家族によってその時期は違います。

これまでの生活環境によっても変わるでしょうし、子供がまだ小さい場合はこれからの関わり方で子供も変わっていきます。

 子供のスペースは必要最小限に「寝る」だけにして、勉強などは親子共有のワークコーナーで行なうのも、

狭い空間をうまく使うコツかも知れません。

また、子供部屋だけを考えるのではなく、他の空間のつくり方(子供部屋との関係性)も重要です。

気配を感じられるように入り口に視線が通るようにするとか、

壁で仕切ってあってもどこかで空間が繋がっているなど、方法はいくらでもあるでしょう。

 まずは、子供部屋をつくる前に、これまでの親子の関係を振り返ってみてはいかがでしょうか。

むやみに子供を大人扱いして部屋に押し込むのではなく、親として今しか関われない時期もありますので

これまでの親子の関係を見直してみることが先決のような気がします。


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 土間
 これまで私が設計した住宅には「土間」を設けているものが多い。今回はその土間についてのお話。

日本には古くから土間が存在している住まいがある。それが町家や農家であれば、通り抜けが出来たり、

作業場や履物を脱がないまま気軽にそこでお茶を飲んで休んだり出来る場となっている。

それぞれがちゃんと意味を持ち存在している。

 今どきの住宅にもこの「土間」を再現できないだろうか・・・。

現在の住まいには、このような場所がない。せいぜい狭小な靴脱ぎ場があるくらいで

あとは使い方を限定した「部屋」で占領されているからである。

使い方を限定しないで、使いたい時に使いたいように使う。そんな場所があってもよいのでは。

しかし、面積的に制限される現在の状況からすると、すごく無駄な空間に感じる方もいるはず。

では、考え方を少しだけ変えてみる。どの家にも玄関はあるはず。そして長い廊下も。

このようなスペースをまとめてみると、面積的にちょっとした部屋が出来てしまうくらいの場所が生まれる。

 これまでに設計した家の「土間」は、入り口から庭先まで通り抜けられたり、

帰宅してそこでちょっと一休みしたり、家族の気配を繋ぐ共有の場であったり、

趣味の場であったり、子供たちがそこで遊んだり、

簡単な接客の場であったり、くつろぎの場であったり・・・と使い方は限定されていない。

それぞれの家族が、この共有できる自由空間を楽しみながら生活している。

外と内の中間に位置する何とも不思議な場所。

この「土間」には、まだまだ無限大の楽しさが隠れていそうである・・・!


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 職人技が消えていく!
 戦後の工業化へのあこがれの時代から、どんどん進歩し現在の量産化の時代になり商品開発が盛んに行われている。

その結果、これまでの社会を支えてきたそうした方法が、今となっては「物余り」の状況を生んでいる。

これは建築に限ったことではない。

環境問題や子供たちのことにまで及ぶ。

ご多聞に洩れず、家もその中の商品の一つになっている。

いろいろな商品(家)が、うちの工法なら工期が早い・うちの設備は便利…と競い合って、消費者はどれを買おうか悩まされる。

おまけに、買い手と直接接するのは建築を知らない営業マンだったりする。

でも残念ながら、これが一般解。

昔のように職人と接しながら進行したり、職人が1軒の家にじっくり取り組んだり、そんな時間も心の余裕もない。

そして、洋風建築へのあこがれ・価格の競争・商品販売の戦略・工期の短縮などから、

建築資材も○○調や○○風といったホンモノそっくりのニセモノが氾濫し始める。

そうなると、今までホンモノに携わってきた職人は不要になってしまう。

左官・建具・板金・塗装などなど…。

専門技術を持った職人の出る幕はほとんどなくなる。

悲しいけれど、これが今の日本の現状。

日本の職人の手でつくられてきた家はどこへ行ってしまうのか?

職人たちはどこで本領を発揮するのか?

また、本来の技術を持った職人がどれだけいるのかさえ疑問になってしまう現在。

職人の世界も、そのような状況の中で技の継承さえ難しくなっている。

このままでは、職人技が消えていく…!


 そこで、我々設計に携わるものとして出来ること…

時代の流れを変えることなど出来やしない。

せめて…職人技を発揮できる場をつくること。

木組みの技・手づくり木製建具・塗り壁や塗装の技…などなど。

機械で出来ることや既製品は山ほどたくさんある。

安易な方法はいくらでもあるが、それに頼らずに出来ることもまだたくさんあるはず。


我々や住み手は、職人技を消さないための努力を惜しんではならない。

「人」がつくった家に「人」が住むこと…それが大切なのではないだろうか。


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 肝心なのは「住まい方」
 「便利さ」「快適さ」「体裁」などを追求しすぎて、家族の団欒やつながりを見失っていませんか!?

「一人一部屋の十分な個室がありそこで何でも用が足りてしまう」・・・当然それは便利ですよね。

「部屋はあまり広くせず、空間同士の繋がりは避け個室化し空調設備の効率が最優先」・・・それもいいでしょう。

しかし、個室の方が快適すぎてそこにこもりきりになり、家族が顔を合わせるのは食事の時だけ。

子供たちは家に帰ると、親と顔を合わせることもなく個室へ直行する。

親は子供がいつ帰ってきたのかわからない。

家族がどこで何をしているのか気配すら感じない。

 このようなことを考えた時、はたして便利性・快適性・プライバシーはどの程度必要なのでしょうか!?


 通常「家」とは、家族が一つ屋根の下で共に生活する場です。

他人が共同生活するわけではありません。(中には例外もありますが)

それならば、多少の物音・話し声・気配・料理のにおいなどが感じられた方がよいのではないでしょうか。

「あぁ子供が帰ってきたなぁ」とか、「また兄弟喧嘩してるぞぉ」とか。

「今日は子供の様子が変だなぁ」とか、「今日の夕飯はカレーだぁ!」という具合に。

例えば、上下が吹き抜けで繋がっていたり、全体の空間が一つになっていたり

視線が通るような工夫を施すなど、方法はいろいろあるでしょう。

当然その中には、最低限のプライバシーの確保は必要ですが。

 何にでも言えることですが、日々の繰り返しというものは知らぬ間に慣らされてしまうだけに、影響力が大であると思います。

「家」にも同じことが言えます。

いつも同じ場で生活していると気付かないかも知れませんが、いつの間にか住み手に多大な影響を与えているのです。

極端に言うならば、性格や人格をも形成し、ひいては人生にまで影響を及ぼしてしまいます。

 周囲の蔓延した情報に惑わされず

「自分たちはどう住まうのか?」

「今、自分たちには何が必要なのか?」 ということをもう一度原点に返り、じっくりと考える時間をとることが必要でしょう。


 家に合わせて住まわされるのではなく、住む人がいて家をつくるのですから!


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 白熱灯で安らぎを
 照明器具を明るさやデザインだけで選んでいませんか?

私が以前伺ったアメリカのアパートメントには、

ダイニングのペンダントを除き、各部屋の天井に
は一つも照明器具がありませんでした。

一瞬暗いような気もしましたが、それは日本で「明るい部屋」に慣らされているからだとすぐに感じました。

リビングには壁付けのブラケット照明とソファ
脇のフロアスタンドだけ。

しかし、くつろぐには十分で、新聞や雑誌を読む時はフロアスタンドを
利用するのです。

部屋全体が煌々と明るくはないものの、

白熱灯による暗い所と明るい所とのメ
リハリのある光は空間を落ち着いた雰囲気にします。

蛍光灯一つで部屋全体を明るくするのではなく、食事・団欒・読書・家事などのシーンごとに照
明を考えてみてはどうでしょう。

世のお父さん方が蛍光灯がついた昼間の職場から帰ってきた
時、

住まいまでが昼間のような蛍光灯の光ではくつろげないでしょう。

窓から洩れる光も青く冷た
い蛍光灯より、あたたかい白熱灯の光の方がホッと出来るのは、

白熱灯が明かりの原点である
「炎」の色に近く安らぎを感じさせるからでしょう。


 さて、今晩あたり実験をしてみてください。身近にある白熱灯のデスクライトやクリップライトを
壁や天井に向けて照らし、

枕元のスタンド照明を部屋の隅の床に置く。そして蛍光灯の照明を
全部消してみてください。

それだけで今までとは全く違う雰囲気になります。

照明をおとして一杯やるもよし(^^’ ぜひ、お試しあれ!


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 ものづくり屋の使命
 今や住宅は「買い物」になり、

かつて日本の気候風土だからこそ生まれてきた伝統工法や職人の技術は消えてしまうのだろうか・・・。

 コスト削減で機械化され、商品開発も盛んに行われ建築資材も豊富になり過ぎ、

住宅建材でも何々風というニセモノが氾濫し、今までホンモノに携わってきた職人たちは不要になる。

そして、少し古くなっただけで解体され新しい形に生まれ変わる。

こうしたことの繰り返しで街が姿を変えていく。

これらのことは日本人自らが日本の過去を消すことになるのではないだろうか・・・。

 ものづくりとは何だろうか?そこには必ず「こだわり」があるはずである。

住宅の場合で考えると、住み手・設計者・つくり手という3者が存在する。

この3者のコミュニケーションがとても重要である。

これがうまくいかないと最終的にいいものは出来ない。

住み手に「こだわり」があるように、設計者にもつくり手にも「こだわり」はある。

であるから、住み手はデザイン・考え方・人としての相性がぴったり合う設計者を探すことが重要である。

つくり手と設計者との関係も重要で、設計者がどのようにイメージを伝えるか、それをどのように形にするか、

お互いに考える姿勢が重要であろう。

そして、設計者は職人を消さないための努力を惜しんではならない。

つまり設計者は、職人技を発揮できるような場をもっとつくるべきなのだ。

例えば、世界に一つしかない玄関ドアが付いていたら住み手はワクワクするでしょう?


提案する設計者、技術を発揮するつくり手、ワクワクする住み手、

その三角関係がものづくりには大切なのではないだろうか・・・!

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